住めば西条

東広島市に赴任してきた30代OLの日々。犬と二人暮らし。

悲しみ方は人それぞれ

そんなに近しくない人が亡くなった際の反応がうまくできません。なので、極力そういう話には参加しないことにしています(近しい人だったら話題に参加するしないのレベルじゃないよね)。

他の人の反応に不快感や怒りを覚えてしまうことがあるけど、それが理不尽だと自覚してるので、その怒りで誰かを傷つけないために、自分の気持ちを表明しないようにしてます。

でも結局こんなところに吐きだしています。私の反応で逆に不快になったり怒りを覚えたりする人もいるかもしれない。そういう人は、そっとブラウザを閉じてください。ごめんなさいね。

 

若い頃に、主に自殺で同世代の人を何人も亡くしていることが関係あるのかないのか、多分ちょっとはあるんじゃないかと思うんだけど、あると思うこと自体が、本当は嫌。他人の死を自分と関連づけることへの嫌悪感。でも当時他にも色々辛いことが重なって完全に病んでいたので、その時期にきっかけがあるのは確かだと思ってる。

 

身近な人が自殺すると初めはショックで打ちひしがれて、もう二度と会えないという悲しみにのまれてわけわかんなくなるんだけど、そのうち止められなかったふがいなさ、遺族への申し訳なさで、ただ悲しむわけにはいかない気持ちになる。死ぬのを止められなかった自分に悼む資格はあるの?と思ったり。遺族に比べたら所詮部外者、止められなかった程度の親しさのくせに、いつまで悲劇のヒロイン面ですか?って。

 

それに拍車をかけたのが「私は死んだあの人とこんな思い出がある」と共通点アピールを始める人。誰かが死ぬと必ず現れる。有名人と知り合いアピールするのと同じ感じ。弱いつながりの人ほどアピールしたがる所も同じ。大人になってからは減ったけど、それでも必ず、必ずいる。

「何回か話したことがある」ならまだいいほうで、「来学期からクラスが同じになる予定だった」「事務手続きで名前を見たことがある」「年齢が同じ」「名前が似ている」なんてのも。

そういう人たちは本人のいないところでヒソヒソと「実は長く病気されてたんですよ(私は知ってましたよ)」「うちの母と同い年なんですよ。ショックです(共通点アピール)」みたいなことを口ぐちに繰り返すんだけど、私はそれがどうしても耐えられない。(かっこ内は完全に私の偏見による補足。)

「知ってる人やその身内が亡くなるのは確かにショックではありますが、ご遺族のショックを思えば私らなんてたいした親しさでもないのに悲しぶってる場合じゃないですよね」ってとんでもないことを口走りそうになってしまう。

でもその中にももしかしたら本当に悲しんでる人・大した親しさの人もいるかもしれないし、悲しぶってるだけだとしてもそれが悪いわけじゃないし、悲しみ方は人それぞれで、私がとやかく言う筋合いはまったく微塵もこれっぽっちもない。

だから「私、彼女の死んだ母親と同い年なんですよ」って言われても「へえ」って言って不自然に立ち去るしかないのです。不自然だという自覚はあります。

別に仲良かったからたくさん悲しんでいいとか、そんな問題じゃないと私は思うんだよね。仲良くなくても悲しければ悲しめばいいじゃない。「実は付き合ってました」とかならさすがに「おぉう…」ってなるけど、そんなよくわかんないつながりアピールされてもどう返していいかわかんないよ。

ジュネーブにいる時同じく海外に派遣されてた同期が亡くなったんだけど、私は仕事&プライベートで数回話しただけの彼女に、同じ海外組として当時すごく親近感を持っていたので、訃報を受けてボロボロ泣いてしまいました。再び日本に帰ることなく、遠くの国で一人死んでしまったことがただ悲しかった。

訃報を知らせてくれた人が、涙を止められない私におろおろして「親しかったんですか?」と声をかけてくれたんだけど、私が一方的に近しく思っていただけなので即座に「いいえ、全然」と答えてしまった。結果的にその人を一層おろおろさせてしまうことになったけど、私はそこで「数回こんな会話をしたんですぅ~」みたいなアピールをするよりは、「別に親しくなかったけどとても悲しいので泣いてます~」のほうがまだ良いと思ったんだよね。うん、そのほうが変なのはわかってます。

 

もうひとつ私が受け入れがたいのが、「彼の死を無駄にせず」とか「彼女の死を乗り越えて自分はこう成長した」とか言う人。

私自身、同世代の相次ぐ死(とそれに対する周囲の反応)を経て死に対する反応がひねくれてしまった、という話を現に今しているので、その点は自分が嫌だなと感じてます。周囲の人の死を自分に結び付けようとしてる。もしかしたら誰も死ななくても初めからこういう反応をする人間だったのかもしれないのに…ううん、やっぱり最初は違ったと思うけど。。。まあ他人の不幸を自分のプラスに転じようとするよりはマシと感じます。「彼女の死を通して私はこれを学んだ」みたいなことを言われると「私は彼女の死を通してあなたがそんな人間だってことを学びました」と返したい程度には怒りを感じます。

でも、もちろんそれを言っちゃいけないことくらいは理解できます。何度も言うけど悲しみ方は人それぞれだし、死を通してひねくれようと何かを学ぼうと人の勝手。そんなことで怒りを感じる私のほうが理不尽なんだよね?

だから私にできるのはその人と話さないことだけ。

そして家に帰ってこんなところに吐きだすことだけ。

 

あ、でももし私が死んだときに「まめさんの死を通して成長した」と言う人がいたら、「じゃああなたも死ねば周りの成長に貢献できるね!」と言って道連れにしようかな!